@古野の履歴書、プロフィール/その2。独立創業へ
某テレビ局の役員さんに、紹介しされた会社、それまで、主に営業マンとしての13年の経験から、企画制作課のディレクター職として新たな職場に身を置く事になりました。
「デザイン作業とかはできませんが、良いのでしょうか。」と言いながらも、大丈夫だからと…、即採用され、
1996年、平成8年8月より、子会社の制作会社も含めて、そこで、10年間を過ごす事になります。
コンテンツ
広告の企画制作ディレクターとして…チーム業務の要です。
いよいよ、5〜6社目
サラリーマン最終編です。
平成8年8月、名古屋では中堅どころ当時、社員20名程の某広告代理店へ入社する事に。
今までは、営業を中心に、企画書の作成、広告制作やイベントの制作のディレクション等は経験がありましたが、制作の専門ディレクターとしては初めての経験でした。
所属は企画制作課。
様々なコピーライティング業務をする事はありましたが、絵を描くことは苦手で、
本当に大丈夫かな〜って。
不安はありました。
入社してみると、企画制作課には自分を含めてディレクター職が総勢5名いました。
特定スポンサー専属の新聞担当、グラフィック専門、グラフィックとCM担当が各1名。
総合ディレクター職が私ともう一人の構成でした。
その中でも私は、企画立案及び企画書の作成、企画コンペの対応や、コンサート・イベントなどのプロデュース業務がメインでした。
その他、社長案件の業務を担当する事も多く、また、営業的なこともこなす事も多かったのも実情でした。
時には、飲食店や映画館などの別事業部の構築やマネジメントなども担当していました。
業界関係者向けの試写室ですが、映画館も作った事もありました。
結構、勉強にもなりましたし、面白かったですよ〜。
ここでも、今まで以上に本当に多くの業務をこなす事になります。
総合的な印刷業務、イベント企画、ディレクション、プロデュース、舞台監督、ラジオ番組制作、TVCM関係業務、ホームページ企画・制作、新聞広告全頁企画、パンフレット企画コンペ、看板・サイン製作、等々、ありとあらゆる、広告制作、販促制作・業務を担当しました。
チームで動くことも多かったですが、途中からは、営業も兼ねて担当することも有り、結構、担当業務がファジーで広範囲に担当する立場でした。
また、飲食事業の事業部が開設された時は、立ち上がり当初は、そちらのマネジメントも
経験し、昼は広告屋、夜はウェイターも兼務した時期もありました。
実は学生時代、バイトで名古屋では老舗の高級レストランでウェイターをしていた時期もありました。
当時では、まだ、ソムリエと言う言葉が日本にはまだなかった時代に、ソムリエ紛いな事もしていました。
お客さんの前で、本格的にワインを抜いていただけですけど…(笑)
イベント関連では、著名な歌手のコンサート・イベントやディナーショーのプロデュース、
中には、今でも十数年以上も続いている名古屋駅前での夏の某文化イベントも、その立ち上がり時の企画フレームの構築も含めて、3年間ほどプロデュースを担当したこともありました。
独立後も協賛スポンサーのプロモートもしていました。
現在も、そのフレームを基本に、企画も追加され拡充された形で、そのイベントは今も継続開催されています。
ほぼ、ありとあらゆる業務を担当する事になりましたが………。
気がつくと、知らぬ間に、暗黙のうちに
リストラの対象になっていたみたいです。
最後のサラリーマン、シリーズです。
様々な業務を担当してきたのにも関わらず、骨を埋めるつもりでいたにも関わらず…、
知らぬ間に、退職への道に進んでいたようです。
その会社では、広告業界での業務経験が、社長、常務、部長の次に私が4番目に長かったです。
しかし、いつしか、会社の向かう方向性?が変わり?
スッタフ数も系列会社、事業部も含め総勢40名を超える会社にもなっていました。
気がつくと、知らぬ間に、暗黙のうちにリストラの対象になっていたみたいです。
ある時、突然、社長に呼ばれ、子会社の制作プロダクションへの出向異動命令が!
やっぱり、リストラ対象だったのだ…と、実感しました。
詳しくは話しませんが…。
このままでは、自分がダメになる。と
恐怖心、不安感でいっぱいになり、転職への準備を始めました。
ある程度、方針も決まり、これから、いつでも、退職願が出せる状況になった頃でした…、
ふと、何を思ったのか、既往症であった痔病の検診へ何故か行ってみようと思い病院へ行きました。
多忙な日々が続き、やっととれた代休のその日…、
まさか、この時に癌宣告されるなんて…
予想もしなかった事に。
病名は直腸癌。
仮設の人工肛門を造設する、結構な大手術でした。
凡そ、13時間くらい。
ショックでしたね〜。
もう死んでしまうのかなぁ〜とも感じる、放心状態の時期も続きました。
でも、本当に運が良く横には広かったですが、縦には浅く、半年ほど人工肛門を造設した
生活を経験しましたが、当時はまだ、5年くらいの実績と言われた、肛門温存療法にて治療することができました。
後で知ったのですが、当時、私のケースで、肛門温存療法が選択できる病院は、日本で二つしかなかったそうです。
よくよく聞いてみると、日本で二人しかいない主治医の先生だったみたいです。
この事が転職どころか、暫くは休養しようと思った事が切っ掛けで、独立創業する道へ進む事になります。
見方を変えれば、転職しようと思わなければ…、
私は、きっと、今、
このメルマガやブログを書いていなかってでしょう。
サラリーマンとしての窮地に追い込まれなければ、
当時は人生の中で一番、体感する体調が良かった時でした。
きっと、病院に行くこともなく、気が付いた時には手遅れだったと思います。
またの機会にもお話ししますが、私は、きっと、運が良い男であると思います。
ある面では…。
最初の手術を経験後、暫くは、仕事も少なくしてもらえ、ゆっくりさせて貰えました。
その間は、色々な事も考えました。
このまま、この会社にいたら、死んじゃうかもしれないな…っと。
凡そ5ヶ月後に人工肛門閉鎖の手術を受け、これも長期の入院となりましたが、退院後、退職して暫くは、ゆっくりしようと…、決意したのでした。
そして、独立創業に向かう…
独立創業への道…
最初の手術より凡そ5ヶ月が経過した頃、仮設であった、人工肛門を閉鎖する手術を受けることになりました。
本来は、短期の入院で済むところ、腸閉塞を併発したため長期の入院となります。
入院期間中も含め退院時期が年末に近かったこともあり色々な事を考えることができました。
取り敢えずは辞めよう。
暫くはゆっくりしようと。
ところで、30代前半に私は、痛風になった事がきっかけで、生命保険を見直し、当時では結構、優良な保険に入っていたみたいです。
その後、転移性ではありますが、右肺、左肺と肺癌も経験する事になり、合計3度の癌罹患と4度の手術を受ける事になりました。
お陰様で、保険金は、ほぼ、死亡と同等の金額を貰うこととなりました。
これが、現会社、
株式会社リップルの設立資本金となりました。
当時、担当していた複数のクライアントさんへ退職のご挨拶に回っていた時、
ひょんなことから、大きな後押しをしていただけることになります。
そして、独立創業することへと舵を切ることになります。
2006年3月1日、7社目として、
まずは、お世話になっていた、零細の広告代理店で
机1つと、メディアへの広告出稿口座を借りて、事実上の独立創業、会社設立へのステップとしました。
約1年半、この会社で営業がてら設立への準備をして
2007年9月10日、8社目として、
株式会社リップルを設立します。
独立創業後も本当に色々な業務を請け負う事になりました。
求人広告以外ですが…。
貴重な経験としても、創業時に支援して頂いた某クライアント様の
VI(ヴィジュアル・アイデンティティ)
簡単に言えば、ロゴマーク、ロゴタイプの改訂という業務です。
作業、業務は、時間も掛かり大変な作業でした。
でも、私としては、
大変、いい仕事ができたのではっ、と思っています。
かなり、CI絡みに近い作業になっていたと思います。
この会社の会長は、その業界では、カリスマ的な経営者の方でした。
残念なことに、早くして故人となられてしまいましたが、私の人生の師匠と言っても良いくらい大きな教えと影響を受けた方でもあります。
亡くなられた後は、ご子息様が後を立派に継承され、その成長は、私からは大変、差し出がましいですが、心から敬意を評している次第です。
その後継者の社長からの依頼で頂戴したお仕事です。
また、機会あればこの案件もレポートさせて頂きます。
まとめ
よく、これだけの事がやれたな〜っていうのが、正直な感想です。
これまでの36年以上に渡る経験を活かせればと始めたのが、
マーケティングに関する、コンサルタントの仕事です。
36年を超える経験の中で特に、中小企業のクライアントさんの中に潜む課題や問題点が色々と気になる事も多かったです。
一人のマーケターとして
アドマンとして
これからの人生
この経験を活かして
皆様に貢献していきたいと考えています。
メルマガ、ブログWebサイト等を通じて
皆様にお役に立てるような情報をこれからも発信していきます。
気になることがあれば、気軽にお問い合わせください。
今後ともよろしくお願いします。
2020.09
この記事を書いた人
- 古野 徹
- 株式会社リップル
代表取締役
マーケティング・コンサルタント
広告関連企業8社に従事して36年超。
ありとあらゆる業務を経験してきたノウハウを活かし、総合広告代理店、㈱リップルを設立する。
創業15周年の通過点に向けて、新規事業として、中小企業を対象とした、「マーケティングに関するコンサルティング事業」サービスの提供を開業。
「心を大切にコンサルティングします。」を新たな基本理念に加え、
どうやって、集客していくのか、
どうやって、売り上げを伸ばしていくのか、
どうやって、新たなお客さんやサプライヤーと繋がっていくのか、
どうやって、人財を確保していくのか、
どうやって、災害や緊急事態に対応していくのか、等々、
益々、社会での存在意義を示していくことが重要な課題になってきている中小企業に対して、わかっているようで、わかっていない「マーケティング」、今更、聞くに聞けない「マーケティング」の事など、総合的なマーケティング活動の施策支援のサービスが提供できるように、絶えず精進を続けている。
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